2024年03月04日18:40
FIAT 131 TEE
1976 FIAT 131 ABARTH RALLY
フィアット131アバルト ラリー
‘70年代後半の最強ラリーマシン
1971年にフィアット傘下に入ったアバルトは、グループ内でフィアットの競技車両とスポーツモデルの開発を担当した。1971年に「フィアット・アバルト124ラリー」を送り出し、世界ラリー選手権(WRC)やヨーロッパ ラリー選手権(ERC)で活躍する。しかし当時ラリーフィールドを席巻していたのは、同じフィアット・グループ内の「ランチア・ストラトス」だった。ランチアの競技部門であるランチア・スクアドラ・コルセが独自にラリーに参戦しており、専用開発されたミッドシップのストラトスは圧倒的な強さを発揮し、1974年から1976年まで3年連続WRCワールドチャンピオンを獲得していた。
フィアットの首脳陣は、市販車との関連性が薄いランチア・ストラトスでのワークス活動を中止し、市販量産モデルのイメージを受け継ぐラリーカーで参戦する方針に舵を切った。そこで当時フィアットを代表するモデルだった「フィアット131」をベースに、グループ4車両規定に対応したラリー用マシンの開発がアバルトに任されたのだった。





フィアット131アバルト ラリー
‘70年代後半の最強ラリーマシン
1971年にフィアット傘下に入ったアバルトは、グループ内でフィアットの競技車両とスポーツモデルの開発を担当した。1971年に「フィアット・アバルト124ラリー」を送り出し、世界ラリー選手権(WRC)やヨーロッパ ラリー選手権(ERC)で活躍する。しかし当時ラリーフィールドを席巻していたのは、同じフィアット・グループ内の「ランチア・ストラトス」だった。ランチアの競技部門であるランチア・スクアドラ・コルセが独自にラリーに参戦しており、専用開発されたミッドシップのストラトスは圧倒的な強さを発揮し、1974年から1976年まで3年連続WRCワールドチャンピオンを獲得していた。
フィアットの首脳陣は、市販車との関連性が薄いランチア・ストラトスでのワークス活動を中止し、市販量産モデルのイメージを受け継ぐラリーカーで参戦する方針に舵を切った。そこで当時フィアットを代表するモデルだった「フィアット131」をベースに、グループ4車両規定に対応したラリー用マシンの開発がアバルトに任されたのだった。




